vol.10

清水恒平さん

武蔵野美術大学教授

1976年3月5日生まれ

社会課題に向き合うことが
人とシェアする安心感につながる文化を育てたい

プログラミングを含め、ジャンルにとらわれず専門分化していないデザインの教育を行っている武蔵野美術大学教授の清水恒平さん。自分の会社でもデザイナーとして、幅広く活動している。誕生日寄付のウェブサイトのデザインにも携わりつつ、本事業をずっと応援いただいている。プログラミングとタイポグラフィを軸にデザイン活動を続けるなかで、近年ではNPO法人イシュープラスデザインのソーシャルデザインプロジェクトの多くに参加。「認知症」「人口減少」などの社会課題を、自分事として考え直せるウェブサイトのデザインを手掛けてきました。「自分が考えていることがすべてじゃない。あらゆる問題をひも解くカギは目には見えない人の思いを想像しつつ、客観視すること」と語る清水さん。人を思う心とそれを客観的に見る力を併せ持つ魅力の源泉を探った。

「福井に文化をつくりたい」という両親のもとで

──武蔵野美術大学・基礎デザイン学科の教授、そして同学科の卒業生でもある清水さん。そして、ご実家が「本屋さん」とお聞きしました。さぞかし文化的な環境でお育ちになったのだと想像しますが…。

 

清水恒平さん(以下敬称略) そんなたいしたものではないのですが、父親が変わった人で、「文化を福井につくりたい」との想いから地元の福井市内で絵本を中心にした書店を営んでいました。絵本はそんなに売れなかったので、在庫がどんどん溜まって、そのうち2階は絵本だけになってしまったようです。他にもあまり福井には置いていない本を集めたりしていたみたいです。お客さんのリクエストに答えていたら、今は不思議な本屋になっています。絵本作家の方々とも交流があって、まついのりこさんやかこさとしさん、きたやまようこさんなど、店に訪れてくれる方もいらっしゃったそうです。当時開局したてだったFM福井のアナウンサーやディレクターが集まったりと、昔から変わった人がたくさん集まるような環境でした。

 

──ちょっとした文化人のたまり場だったのですね。美大に進まれたのはなぜ?

 

清水 高校時代は将来に対してピンとくるものもなく、目標が何もなかったんです。とりあえず都会に行きたいと思い、関東地方の国立大学を受けたんです。そして滑り止めに武蔵美を選んだんです。それも「得意な数学で受験ができるから」という理由だけでした。
蓋を開けると、国立大の受験会場ではみんな学生服を着ていて、かたや武蔵美を受ける学生はすごくオシャレな恰好で、もう絶対こっちがいいだろうと(笑)。両方受かったのですが、親には「武蔵美に行かせてくれ」と懇願したんです。武蔵美を選んだのは結果的に自分にとって正解で、当初デザインとアートの違いも分からなかったのが、すぐにデザインのおもしろさにはまりました。忙しいながらも充実した日々を送り、次第に「デザイナーになろう」という意識も芽生えていきました。

 

──卒業後は、どこかのデザイン事務所に入られたんですか?

 

清水 それがですね、就職が決まっていた会社が、入社を待たずして解散してしまって。その時はバブル崩壊のあおりで、内定が取り消しになった友人もちらほらいたんです。仕方ないと思いながらも、急にやる気が削がれて、1ヶ月くらいは引きこもってゲームをしていました(笑)。
その後、デザインのアルバイトを経て、あるメディア関連の研究財団でプログラミングによるデザインの研究をすることになって、これが人生の分岐点となりました。そこで学んだプログラミングが、その後の仕事の礎となったし、ゆくゆく母校でプログラミングを軸にしたデザインを教えるきっかけにもなったんです。

 

──そのまま就職していたら普通のデザイナーになっていたところが、縁というか運命というか、不思議な巡り合わせですね。

 

清水 まったくそうなんです。財団での研究員補助と並行して、母校の基礎デザイン学科の研究室で助手もやっていました。そこでもう一度グラフィックデザインやタイポグラフィを勉強し直して。2004年に自分の事務所「オフィスナイス」を設立して、仕事を広げていった感じですね。

“コマーシャルではない” “クライアントがいない”デザインとの出会い

──近年では、『認知症世界の歩き方』や『人口減少×デザイン』のウェブサイトデザインなどのソーシャルな仕事に関わってらっしゃいますね。

 

清水 これもひょんなきっかけなのですが、30歳を過ぎた頃に知り合いの紹介で、NPO法人イシュープラスデザインの筧(かけい)裕介さんと出会いまして。これまた僕の仕事を大きく変えることになりました。
 今もそうなんですが、当時は特に、特定の形式のデザインや、コマーシャル(商業的)なデザインだけでなく、やったことがないことに挑戦してみたかったんですよね。一方、その頃「ソーシャルデザイン」や「コミュニティデザイン」が認知されはじめてきて、筧さんもコミュニティデザイナーの山崎亮さんとプロジェクトを進めていた頃でした。
最初はそういうデザインの領域に懐疑的な気持ちもあったのですが、とにかくやってみようということで、自分なりに向き合ってみました。
当初は地域系のプロジェクトが多かったのですが、普段接しているタイプとは全く違うタイプの多くの人々と会うことができて、その後の自分の意識もずいぶん変わったような気がします。一方で地域系のプロジェクトは、自治体とのお仕事が中心だったのですが、その自治体の担当者が変わるとすべてが白紙になってしまうということもあり、もどかしい気持ちもありました。逆にやる気のある自治体の方とのプロジェクトは良い成果を残せたと思います。
 今はどちらかというと社会課題にアプローチする「ソーシャルデザイン」が多いですね。そんな具合にかれこれ10年以上、イシュープラスデザインのプロジェクトには携わってきています。手探りながらも未知の体験ができて勉強にもなるし、とてもやりがいを感じています。同時に自分自身は自分の個性を出すというよりも陰で支えながらものをつくる立ち位置が居心地がよいということに気づきました。

いかに想像して問題の本質に向き合えるか

──その後2012年に武蔵美の教授にもなられて11年余り。ますます多様化するデザイン領域を前に、学生に対して思うところはありますか。

 

清水 一般的に「デザイン」と聞くと、いろいろな技法を学んだ上で、自分の好きなクリエイティビティを追求していくイメージがあるかと思います。しかし、デザインは自分がどう思っているかよりも「周りからどう思われるか」が大切です。
普通はドアの開け方は誰かに教わらなくても開け方が分かりますよね? デザインはそうあるべきで、仮に開け方を迷ってしまうようなドアがあったら、デザインとしてはうまく機能していないとも言えます。見る人・使う人のことを「いかに想像できるか」が重要です。その想像できない若い人が増えてきているな、という心配はありますね。
 その理由のひとつとして、社会に小さいカルチャーが分散してきているからなのかなぁと。昔はマスじゃないと何も成り立たなかったけれど、今や好きなアニメやゲームといった小さなクラスターがSNSなどで簡単につくれ、仲間とつながれる。それ自体は問題ではないし良い面もたくさんあるけれど、その輪だけに閉じこもってしまって、外の世界への関心が薄れてしまっている人も少なくないかもしれません。

 

──それが想像力の欠如につながっていると。

 

清水 また、特にソーシャルデザインは「問題の本質に向き合うこと」が大切です。先ほどお話したように、イシュープラスデザインからの依頼で社会課題に関するウェブサイトをデザインしてきましたが、その現場では、問題がなぜ起こっているかを突き詰める作業から始まります。
例えば認知症でいうと、認知症による問題行動よりも、周囲の人が「認知症になったら何もできなくなる」という固定観念にとらわれていることが、問題として大きかったりします。そのため100人の認知症の方々に丹念にインタビューをした上で、どのような場面で不都合を感じているのかをデータベースにまとめています。『認知症世界の歩き方』のウェブサイトでは、認知症の方々の見ている景色を想像できるアニメーションも展開しています。見ている人が「認知症とはこんな感覚なのか。だったらこういう工夫ができる」と想像してもらえることを願っています。
つまり、想像力で問題そのものを深く多面的にとらえた末に、最適なかたちに結実させる能力が、あらゆる領域で求められているんです。

 

──なるほど、デザインには、丁寧に相手とつないでいく役割があるんですね。その上で想像力が極めて重要だと分かりましたが、そういう意味では寄付やボランティアも、社会課題を想像するひとつのきっかけと言えるかもしれませんよね。

 

清水 知らない世界の人を想像して行うものですからね。しかし、寄付文化が根付いていない今の日本では、震災のような大きなきっかけや、その問題に関して当事者意識がないと、寄付がしづらいのかもしれません。社会問題をより自分事として捉えるのにはどうしたらいいか。そのために、僕らはデザインを通じてもっと想像しやすくしてあげなくてはいけないんだろうな、と感じます。

お金は使っただけ戻ってくるという安心感

──後進の育成やご自身の会社の運営などで忙しくされているなかで、清水さんの今後の仕事の領域はどこに向かっていくのでしょうか。

 

清水 よく聞かれるんですが、割と流れに身を任せている感じなんですよね(笑)。基本的に営業もしませんし、自分からは動かないんですよ。その代わりに何か誘われたら参加しますし、どんな仕事でも依頼されたらほとんど断らない。性格が合わない人とは必然的にその後の仕事に発展しないというだけかもしれませんが。
ただひとつ言えるのは「その人と一緒に仕事がやりたいかどうか」。特に自分の知らない世界を拓いてくれるような相手には惹かれます。例えば、この誕生日寄付サイトのデザインをするきっかけをいただいた、土谷貞雄さん。今、北海道で自然と共生する村をつくっていますが、彼とミーティングをやるのがとにかく楽しいんですよ。毎回新しい視点を与えてくれます。「明日までに一案できないかなぁ」なんて無理を言われることもあるんですが、それに応えていくのがまたおもしろい。
その感覚の延長で、ありがたいことにいろいろな仕事に恵まれて、ここまでずっときている感じなんです。

 

──心地よいと感じる相手とのご縁を循環させ、領域を広げていらっしゃるのですね。自分と違う人を非難しがちな不寛容なこの社会において、来るもの拒まず自然体でサポートをかってでるのは、できそうでなかなかできない気がします。清水さんの中は、不安よりも何か「人に対する信頼」のようなものがしっかりとある気がするのですが…。

 

清水 人間関係はつくづく“持ちつ持たれつ”だな、とは思います。例えば僕、自分の貯金に対して自分のお金という意識があまりなくて、「みんなで使えばいいかな」と思っているんですよね。もともと高級な車や家などに強い興味がないので、普段そんなにお金もかからない。どちらかというと、みんなで食事をしたり遊んだりすることに使ったほうが楽しいし、周囲のために使ったら、使っただけいずれ戻ってくるだろうという感覚があるんです。そんな想いで生きていれば、僕に困った時があっても、みんなが助けてくれるんじゃないかなって(笑)。

 

──それが「人に対する信頼」ですよね。誕生日寄付の目指すところも、つまるところ似たような世界観なんですよ。人生100年時代に歳をとって孤独になった時、自分の誕生日に、感謝の表現のひとつとして心ばかりのお金を周囲に寄付をする、と。みんなが喜んでくれて、それがきっかけで付き合いが広がる。そんなつながりがあれば、自分が困った時にはきっと周囲が助けてくれるでしょう。
一人ひとりが、先行きの不安からお金を貯めこむのではなく、周囲への信頼をもとにお金をいい形でいかせるようにできたら、100年時代もみんな幸せになるんじゃないか。そして、それを見た子どもたちが「かっこいい大人だな」と感じてくれたら…というのが私の願いなんですよ。それを自然体で体現されている清水さんは、本当にかっこいいし素敵です。
積極的な社会参画をうながすシチズンシップ教育も大切ですが、一方で寄付という行為が「みんなとシェアする安心感」につながるような文化を育みたい、と心から思います。

インタビュー:

2023年9月

公益社団法人日本フィランソロピー協会
理事長 髙橋陽子

清水 恒平(しみず・こうへい)
1976年福井市生まれ。武蔵野美術大学教授。オフィスナイス株式会社代表取締役社長。プログラミングとタイポグラフィを軸に、グラフィックデザイン、インタラクションデザイン、デバイス制作など幅広く活動している。近年はNPO法人イシュープラスデザインのソーシャルデザインプロジェクトの多くに参画している。主な仕事に、小学生向けプログラミング教育プログラム「ロボット動物園」の教材デバイス制作、「認知症世界の歩き方」「人口減少×デザイン」「無印良品の家」「欲しかった暮らしラボ」「東スポweb」などのウェブデザインなど。