vol.8
残間里江子さん
プロデューサー
1950年3月21日生まれ
名プロデューサーは“生きる”を社会化する達人だった
山口百恵さんの自叙伝『蒼い時』を手掛け、女性として初めての本格的「団塊論」となる『それでいいのか 蕎麦打ち男』を著すなど、出版をはじめ、映像、文化イベント等を多数企画・開催。
さまざまな分野で活躍するプロデューサー残間里江子さん。2009年には、新しい大人文化を創るべく「クラブ・ウィルビー」を設立。「大人」が、豊かで輝く人生を送り、次世代へのロールモデルとなることを提唱・実践されています。
母の生き方「自分より大変な人のために」
―5年前に99歳で亡くなられたお母さまは、結婚される前に仙台市会議員選挙に立候補された経験もあり、市民活動家でいらしたとお聞きしました。どんな方だったのですか?
残間里江子さん
(以下敬称略) 国鉄の労働組合の仙台鉄道管理局で、母は婦人部長、父は青年部長をしていましたが、戦後のレッドパージ(※1)で職を失い、経済的には苦しい生活でした。当時、6畳と3畳の狭い部屋に祖母もいて、家族5人で暮らしていたのですが、夜になるといろんな人たちが集まって来て、「資本家」とか「搾取」などという言葉が飛び交っていました。ある時、私がお年玉やお小遣いなどを必死の思いで貯めていたブタの貯金箱を、母が割ってしまいました。
―まあ、かなりショック。何があったのですか?
残間
当時、母は松川事件(※2)の被告弁護団側に入っていたのですが、その支援のために松川市に行くための交通費が手元になかったのです。「罪を着せられて大変な思いをしている人を助けるために行くのよ」と、母は言うのですが、私には理不尽としか思えませんでした。我が家の生活は苦しく、給食費が払えないこともしょっちゅうで、毎月25日の徴収日に、娘の私がどんな思いで学校に行っているのか、知っているのだろうかと思っていました。
―子どもには、理解しにくいことですね。
残間
母の教育方針は、「あなたも大変かもしれないけど、もっと大変な人がいるのよ」というもので、「うちはまだ3ヶ月しか滞納していないし、私は、もちろん払う気でいます。今は、お父さんの仕事もうまく行っていないから払えないの。でも、A子ちゃんのことを考えなさい。6カ月以上も滞納していても卑屈にもならず、あの明るさ、けなげさ。勉強もよくできて、妹や弟の面倒もちゃんと見ている。ああいう子もいるのよ」と言われると、A子ちゃんは確かにそうなので、何も言えなくなってしまいます。
―すごい!ぶれないお母さまです。そうして鍛えられてきたのですね。
残間
母は、私や弟に愛情をもって育ててくれましたけれど、どこかでいつも、自分の思い、さらに言えば「社会」に目がいっていましたね。「困った人や、自分より大変な人に尽くすことは、人として当然のこと」という母を尊敬し、他のお母さんとは違う、すごいなと思う反面、人のためにする運動ってなんなのだろうと思っていました。その影響だと思いますけど、大きくなってからも「社会に貢献する」ということに、なんとなく抵抗感がありました。
子育てのなかでの寄付にかけた想い
―大変な人のために奔走するお母さまの姿に、抵抗感とともに客観的に見る冷静さも持っていた残間さん。ご自身の子どもさんを育てるなかで、気づいたことがあるそうですが。
残間
シングルで産んだことも関係していたのだと思いますが、ひとり親だからといって、そこを負い目に感じたり、ことがうまくいかない時に「僕の家が母子家庭だから」という理由づけにさせないために、もっと大変な状況下にある子どもの存在を知らしめようと、息子が幼いとき、紛争地の写真展に連れて行ったり、報道写真家の知人が送ってくれた難民キャンプの写真集を見せたりしていたのです。
そしたらある日、小学校に上がる少し前のころ、息子が言うのです。「ぼく、この藁小屋の前で一人きりで泣いている少年が何故こうなっちゃったのかはもうわかったから、もうちょっと楽しい『ゴレンジャー』とかの写真展に行きたいな」と。
―子どもらしい、素直な反応です(笑)。
残間
寝る前に、飢饉や戦争で悲惨な生活を強いられている子どもたちの写真集を広げては「世の中には、こんなに大変な人たちもいるのよ。あなたも親が私1人だから辛いと思うことがあるかもしれないけれど、世界中には、生まれてすぐ両親を失う子どもたちもいるのに比べたらずっと恵まれているのよ」と言っていたのですが、そのときハッとしました。私は、母が「あなたも大変だけどA子ちゃんを見てごらん」と言っていたのと同じことを、やっている(笑)。
―その息子さんには、寄付もさせていらしたと。
残間
お年玉とか何かの時に人さまからお金を頂戴した時には、小学校の時には7割を寄付に、中学校は5割、高校は3割、大学になるとあまりもらえませんから1割を、「世界には、クリスマスもお正月もお祝いできない子どもたちがいるのだから」と、寄付をさせました。もちろん、それが将来の人間性にどう活きてくるかは分かりませんが、それらのお金は息子自身にいただいたというよりは、私の息子だからいただいたのだということも言って、お金を手にすることの大変さと大切さは教えたつもりなのですが……。
今はあわよくば私からお金を引き出そうと思っていて、「カンパしてくれないかなぁ〜」なんて言っていますから、伝わっていないような気がします。きっと私がこの世を去ったあとに「そういえば………」と、思い出してくれればいいと思っています。
見えないところへの興味が
名プロデューサーにつながった
―アナウンサー、雑誌記者、敏腕編集者として活躍され、プロデューサーになられたのですが、きっかけは、どのようなことだったのですか?
残間
自分自身が表現者になったり、表に出たりするのは向いていないと思ったのは、小さい頃でした。母が歯磨き粉の箱を集めて、歌謡ショーを見に連れていってくれたときです。普通ですと、みんなはショーに出てくる少女スターになりたいと思うのでしょうけれど、私が気になったのは、キラキラした照明のなかで女の子が歌うショーの仕組みです。もっとも、私がこの子のようになれる才能も魅力もないのが、わかっていたからかもしれませんが。
でも、この子にこの歌を歌いなさいと言った人は誰なのかとか、この子にこの洋服を着なさいと言ったのは誰なのか。ライティングとかステージングなどということは、もちろん知りませんでしたが、このキラキラ照明の色を決めた人は誰なのかしらとかが、気になったのを覚えています。
―見えないところ、物事の裏側に興味があったのですね。
残間
富んだ人、貧しい人、元気な人、病弱な人と、私の周りにはいろんな人がいましたからね。このおばさんは私の前ではいつもニコニコしているけれど、時々家の裏で泣いているのは何故なのかとか、この人ってこう見えて寂しいんだなとか、怒りっぽいけどきっとその裏には何かあるのだろうなとか……。小さいときから、人の心の裏側にものすごく敏感だったような気がします。
見えていないものの中に、この人の隠れた良さがあるんじゃないかとか思う、「探る力」。これって大事なのかなと思います。
―まさに、プロデューサー的資質ですね。
残間
結局、それしかなかったのだと思います。編集者もプロデューサーも裏方の仕事ですが、編集者を経て、いつのまにかプロデューサーになっていた。
―2005年出版の『それでいいのか 蕎麦打ち男』は、新たなシニア像プロデュースへの第一歩でした。
残間
蕎麦打ちがだめと言っているのではなく、蕎麦打ちでも、しないよりしたほうがいい。でも、せっかく蕎麦打ち道場まで行ったなら、その技を持って外へ出よう。「技」を少し社会化させたほうがいいのでは?ということなんです。
新しい大人文化をプロデュースする
―画期的な団塊論に続き、団塊の世代を応援する「クラブ・ウィルビー」を設立さなったのですが、どんなクラブですか?
残間
12年を経て、現在、会員は約1万3千人。全員が実名で登録していただいています。ネットのなかでは匿名で言いたいことを言う人がいますが、意見を言うなら実名でいうべきだと思っています。メンバーのみなさんは実名で、住所も連絡先もきちんと書いてくださっています。年会費・入会金もなく、折々の企画で実費だけいただいています。
知的好奇心を刺激するセミナー、勉強会、交流会、ツアーの開催、「ウィルビー混声合唱団」もあるし、折々社会貢献活動もしています。
―クラブに込めた、残間さんの大人文化への想いとは?
残間
社会の規定では65歳からが高齢者ですが、実態にそぐわなくなっていると思います。今の70代前半の団塊世代は音楽ではビートルズやボブ・ディランの洗礼をうけていますし、ファッションもジーンズとTシャツ世代です。「書を捨てよ、町に出よう」や「青年は荒野をめざす」などという言葉に心動かされて国内外を旅してもきましたし、映画もヌーベルバーグやATGなど海外で評価をうけた日本の映画を観て育ちました。さすがに古稀を超えて健康に自信が持てなくなったという人もいますが、総じてまだまだ意欲的です。自分の技を社会に貢献できたらと思っている人もいっぱいいますし、元気なうちは働きたいという人も少なくありません。
個人的には前期も後期もなく「高齢者」は80歳からでいいと思っています。テレビをはじめとしてメディアも企業も「若者」をターゲットにしたがりますが、ドラマでも映画でも、いいものは若い人にも高齢の人たちにも支持されます。若者に媚びて作って若者から支持されず、せっかくそこにいてくれた大人世代まで逃してしまっている例が、数多く見られます。この数年「クラブ・ウィルビー」は、若い人の話を聞いたり、若い人とコラボレーションしたりと、「クロスジェネレーション」と銘打って、若い人と積極的に関わっています。若い人も自慢話とお説教以外なら、関心を持って年長者の話を聞きたがっています。戦争の話もバブル期の狂奔の日々の話も、真剣に耳を傾けますよ。
―プロデューサーという仕事を通して、世の中に新たな価値を生み出してきた残間さん。そのお仕事の根幹には “自分の暮らしを社会化”してきたお母さまの生き方が影響していそうです。これからも、かっこいい大人の物語をプロデュースしていただきたいと期待しています。誕生日寄付について、一言お願いします。
残間
誕生日は、ある年齢になると「おめでとう」と祝福される日から、こうして生きていられることへの感謝の日に変わりますね。特に最近はコロナウイルスに感染して亡くなった友人もいますし、コロナでなくとも、つい最近まで元気だった友人が突然旅立つことも多いものですから、いろいろな人のおかげで今日も元気に生きていられることに対する感謝の念は、強くなる一方です。
この「ありがとう」を誰に、どうお返ししようかと考えた時「誕生日にバースデードネーション」という企画に出会いました。とても素敵な着想だと思いますので、周囲の友人・知人たちに「これこそクールな(カッコいい)大人の誕生日よ」と、言い歩いています。
インタビュー:公益社団法人日本フィランソロピー協会 理事長 髙橋陽子
※1 1949年~50年、アメリカ占領軍の指示で政府や企業が強行した日本共産党員とその支持者にたいする無法・不当な解雇のこと。推定で4万人以上が職場を奪われた。
※2 日本国有鉄道(国鉄)東北本線で起きた列車往来妨害事件。日本の戦後最大の冤罪事件に挙げられる。
インタビュー:
2020年11月
公益社団法人日本フィランソロピー協会
理事長 髙橋陽子
残間里江子(ざんま・りえこ)
1950年仙台市生まれ。アナウンサーや編集者を経て、80年に企画制作会社を設立。出版、映像、文化イベントなどを多数企画・開催する。2009年に、新しい大人文化をつくるネットワーク「クラブ・ウィルビー」を設立。著書に『それでいいのか 蕎麦打ち男』(新潮社)『もう一度花咲かせよう』(中公新書ラクレ)ほか